神話のアイドル

 ルネサンス以降、ギリシャ神話などの古典的、伝統的な主題や構図のもとに、女性の裸は描かれてきた。絵画の欲望の視線の歴史には、美術とポルノグラフィとを隔てる約束事がある。主題や道徳的な観点から女性のポーズに注意し、性器、陰毛などは描かないようにしている。理想的な肉体、女性の裸体の美しさを表現するという大義名分で描かれる。
 古典的な主題、神話画は裸体を描く口実としてある。描く方も観る方も男性中心の社会が、女性の裸を見たいというヘテロ男性の欲望の視線のもとに、これらの絵画は存在している。芸術であるヌードを現実の裸とは区別しようと約束事を踏んでいても、描かれているのは紛れもなく女性の裸でしかない。官能的な描写により、裸の肌はさらされている。肌の表現に細心の注意をはらっている絵画は特になまめかしい。
 フェミニズム・アートには、しばしば女性の裸が出てくる。女性の裸という表面にある見かけのイメージが目を引いてしまう。男の欲望の視線で女性の裸を見る。女性の裸があるにも関わらず、暗黙の了解で、そこには注目しない。あるものをないものとして見る。作品の意図するところがあるにも関わらず、それとは無関係に、むしろ反対の方向に男性の欲望の視線に回収されてしまう。
 反戦の主題にも同じようなことが見られる。戦争賛美の主題も、表現としては見分けがつかない。皮肉として、あるいは問題提起として表現されたものか、見ただけではわからないこともよくある。グロテスクな表現は悪趣味な視線を満足させる。イルカ、サメ、魚竜のような、分類的には離れていても性質が似るという収斂進化のようだ。
 神話画は神話を描くという主題だが、裸体を描き、裸を見ている。フェミニズム・アートは女性の身体、裸をフェティッシュに見せ物として扱うことに異議を唱えながら、裸の女性が表現されている。またそれを、裸の女性として見る欲望の視線がある。
 現代の日本では、神話画など成り立ってはいない。ギリシャ神話はほとんどの人がよく知らないし、そのような西洋の伝統も根付いていない。
 美術というものも移入されたものである。西洋の伝統、歴史、文脈に基づいて成り立っているものだ。日本にも美術という概念が入ってからの歴史があり、美術というものは存在しているが、美術が一般的に根付いているとはなかなか言い難い。ましてや、西洋の歴史、伝統など知る由もない。
 成り立っていない美術において、成り立っていない神話画の伝統の世界を、今の日本のグラビアアイドルをモチーフに描く。ヌードはその時代、地域、風俗、文化、身体観を反映している。週刊誌に載っているグラビア・アイドルなど、女性の裸が消費文化になっている。
 18歳未満の水着、下着姿など乳首、陰毛などを局部的にかろうじて隠すようなものも、「最後の一線」をこえていなければ、ポルノグラフィではないと許される。まるで、裸を描いても許される神話画のように。しかし、それは明らかに男の欲望の視線から見た扇情的な写真として撮られている。
 芸術としての裸は、表現された裸がなまめかしく扇情的にみえたとしても、道徳的な約束事を守っていればポルノとは見なされない。ということを表現した絵画が欲望の視線にさらされる。

よみもの essay

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